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震災を語り継ぐために [天気が転機]

2012年、元日からの一週間に
日本で発生した体に感じる地震は77回、いまだ震災は続いている。

しかし、
『私達は地震の揺れや報道に、慣れてしまっていないだろうか?』



一月八日(日) 震災以後、初めて東北を訪れた。

幹線道路の脇に突如現れた瓦礫の山、
海が見えない内陸まで及ぶ津波の爪痕を目の当たりにし、
写真を撮ることを躊躇した。脳裏に焼き付ける必要があると感じた。

報道されていることが全てではない。
映像から伝わることは限られている。

たった一度訪れた
私が言うのは おこがましいと思うが、
あの場に立って 初めて覚える感情があった。



『地球表面の1400分の1の面積にすぎない日本付近で、世界の地震の約一割が起きている。』
長い日本の歴史の中では、東日本大震災に匹敵する巨大地震は過去に何度となく起きている。
未来に起きることも確実で、それは明日かもしれない。
1100年ぶりに日本は巨大地震が頻発する時代に入ったとする学者もいる。

この時代に生きる私達は
震災を語り継ぎ、
この土地に適した社会を築く必要がある。

自然を見つめる
気象予報士という仕事を選んだ
私の役割を
今一度、問い直すきっかけとなった。



奇跡の一本松.JPG

2012年1月8日(日)午後4時、陸前高田の気温は1.1℃。
『奇跡の一本松』と呼ばれる木の周りには、人だかりが出来ていた。

残念ながら体験や想いも風化してしまう。
だからこそ、より多くの人が震災を語り継ぐ必要がある。
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コメント 6

コウ

斉田さん、おはようございます!
今日であの震災から10か月ですね。

斉田さんも平日の毎日、テレビ出演やその原稿作りなどでお忙しい上に、被災地のことを忘れずに「被災地へ足を運ぶ」ことまでされているのですね。たいへん感激しました。

私の父の郷は仙台です。多くの親戚がいますが、我が家の親戚は幸い全員無事でした。
しかしながら度重なる余震に「またか」という気持ちでも持たない限り、精神的にとてもではないが保たない、と皆申しております。
東京・三鷹に住んでいる私も同じ思いです。

「震災に泣いた年」から年明けを迎えて「あらたな一年にしよう」と思った矢先に、元日の午後からいきなり関東地方を地震が襲いましたね。
(私は新宿のホテルで「家族サービス」でお正月を過ごしており、昼食の大宴会場でその地震に遭遇したのですが、1歳9か月の息子が「もはや地震が起きても泣かなくなった」ことに大きな違和感を覚えました)

斉田さんのおっしゃる、
『私達は地震の揺れや報道に、慣れてしまっていないだろうか?』
のお言葉に、じんとくる思いがするきょう11日を迎えた私です。


東京都三鷹市・K大学医学部付属病院常勤医
☆「三鷹のドクターK」コウ☆
by コウ (2012-01-11 07:52) 

ゆう

斉田さんこんにちは

845拝見しています。

陸前高田に行かれたんですね。

『奇跡の一本松』
もう見られなくなってしまうから、
記念にというかお礼にいらしているんですね、皆さん。


日々の暮らしに流され、目先の事にしか興味を持たなく
なってきた自分に、今一度喝を入れなおしました。
そういえば、今日はもう1月11日でした。

寒に入り気温の低い日が続きます、
どうぞお身体ご自愛下さい。






by ゆう (2012-01-11 21:44) 

ともみ

斉田さんこんばんは
久しぶりにコメント書きます

私は毎月11日がくるたび3月11日のことを思い出します

元旦にも地震があって本当びっくりしました

久々に携帯の地震速報みたいなのが流れたときはすごい怖かったです

天気には逆らえないのでどうしようもないのですが…


斉田さん☆これからもお仕事頑張って下さい[わーい(嬉しい顔)]
by ともみ (2012-01-15 20:11) 

希


こんにちは。

あの震災の日、私は埼玉県の春日部市にあります職場におりました。外の看板がぐらつき、マンホールから水が溢れ、隣のスーパーから雪崩のように人が出てきた光景を今も鮮明に覚えております。

会社の自動ドアにロックがかかり、私ともう一人が外に出られなくなってしまったときの恐怖感は半端ではありませんでした。

しかし、その恐怖感は陸前高田や他の震災地の方に比べれば100分の1にも満たなかったことを夜のニュースで実感しました。

この震災は忘れてはならない、語り継ぐべき物語であると感じます。

自然の現象は、人々の心に様々な影響を残しますね。オーロラのような美しいものから、震災のように一瞬で全てを失う力を持つものまで。人々は『特に何もなかった1日』を感謝して過ごさねばなりませんね。

長々と申し訳ございません。最後になりますが斉田さん、日々お忙しい中のブログ更新ありがとうございます。
毎日寒さ厳しいですのでお身体御自愛ください。

by (2012-01-16 11:25) 

遥

845毎日欠かさず見てます(*^^*)

斉田さんの言葉は恵まれた幸せな環境に気づかず過ごしてしまう私の心にとても響きました。本当に素敵な方なんですね。

海外留学を決めていたのに、震災後思いととどまってしまいました。日本にいたい、大切な人と近くにいたいと強く思うようになりました。
被災していない地域の方でも震災によって心境の変化があったと思います。

どうか斉田さんの願い、思いが多くの方の心に届きますように。



by (2012-01-17 03:16) 

theo

阪神・淡路の震災からも17年経ち、当時13歳だった僕ももう30。
去年の東北の震災も含め、何れも家や知人を失うような被災は
しなかったので、大変なこととはわかっていつつも自分事ように
考えるのが難しいものです。

しかし、進み続ける時間の中、社会を回すのも、元気な人間が担う
大事な役目の1つ。『足並みを揃えて一緒に歩く』だけではなく、
『1歩先から手を引いて導く』のも、同じぐらい必要なこととし、どんな
間接的なことであれ、各自ができること・すべきことをそれぞれの意思を
持って行動している自覚が何より大事と思います。

そう考えると、斉田さんの仰る通り『慣れ』や『無関心』ほど残酷な
ものは無いかもしれません。

3.11の揺れを(僕は千葉県北西部で)体験して思ったのは、「大きな
揺れは、揺れが大きくなるまでわからない」ということでした。つまり、
揺れが大きくなるまでは「いつものように震度2~3程度で収まるのか」
「これからこれ以上大きくなるのか」わからないわけですが、地震大国
ゆえか、どうしても慣れたケースのほうに流れてしまい、避難できる貴重な
時間をロスしています。
そして働き蜂の日本の慣習もあるのか、この時代で震度2~3程度の
地震でも活動の手を一旦止めて机の下に潜る、といった行動をとるのは
『恥』とすらされかねない環境になってしまっていると思います。

僕が個人的に思うのは、『臆病に・心配性になれ』というわけではないです
が、常に身の安全を第一に『適切に行動』できる余裕が必要なのでは、
その余裕のなさを、慣れで誤魔化してきてしまったのでは、と思います。
建物の耐震技術などは見事なまでに進み『安全性』は高まりましたが、
個人の『危機回避能力』がそれに反比例して低下してしまっては何の
意味もありません。この震災を機に、見直したいですね。

すみません。長文すぎました。845の気象情報、いつも見てます。
静かな口調の中にも、芯の強い想いがある方なんだと知れました。
これからも頑張ってください。お邪魔しました。
by theo (2012-01-19 16:39) 

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